「学び」=「感動」からしか、ストーリーは生まれない(1)ートレーニングと分けて考える

「学ぶ」って、「感動する」ことだと思います。

 

 

「学ぶ」というと、

学校の勉強やアカデミックな領域のことが

想定されがちですが

私は学ぶとは「感動する」ことだと思っています。

 

 

感動するとは、心が動くこと。

ドラマチックな映画を見て号泣するようなことだけでなく

苦しさ・悲しさ・切なさ、

そういうのも含めた劇的な心の動きを

私は「感動」に含めて考えています。

 

 

心が動くことこそ、学び。

ずっとその感覚で生きてきましたが

社会での定義は全然違います。

何かスキルを身につけて資格を取ったり

たくさん知識を暗記してテストに合格することを

「学び」と呼ぶことが多いと感じます。

私の中でそれら自体は

「学び」じゃなくて「トレーニング」です。

 

 

トレーニング好きな人は

トレーニングをすることに感動しているはずで

それは学びと呼べます。

もしくは

何か将来のビジョンに必要なスキルを身につける、とかならば

その過程のトレーニングは苦しくても劇的な心の動き(=感動)を伴うので学びと呼べます。

 

 

もちろん、トレーニングが悪いわけではないです。

(むしろ多くの場合、必要です。)

 

 

ただ、トレーニングの種類も量も質も

ストーリーには何ら関係ないです。

学び(=感動)からしか、

ストーリーは生まれません。

 

 

学歴・職歴・スキル等

スペックを語るだけの

ストーリーもどきは、

全然人に響かないです。

 

 

あなたはこれまで何に感動してきましたか?

トレーニングしてきたことじゃなく

心が揺さぶられた「学び」を中心に

自分の人生を振り返ってみてください。

 

 

(続)

執筆者:MIKA TANAKA