「みんな仲良く」よりもっと生々しくて美しい「多様性」の話

私たちは今、ロールモデルのない時代に生きています。

 

「いい学校を卒業していい職に就く」

「ハイスペックな男性と結婚してお買い物三昧の専業主婦になる」

 

こういうのだけがいわゆる「成功」と言われた時代は

もうとっくに終わっていて

みんなそのことに気付いています。

 

 

「こんな生き方も幸せだ!」と

いろんな人が発信している今、

多くの人が辿り着いているキーワードが

「多様性」です。

英語でダイバーシティ(diversity)と言います。

 

 

だけど、「多様性」を達成しようとすると

陥りがちなのが

「こんな人も、あんな人も、みんな仲良く♪」

「個性を認め合おう♪」

という、謎の平和主義です。

この平和主義こそが

多様性を阻んでいるのだと私は考えています。

 

 

というのも、私自身がそうなりがちで

つい数ヶ月前にどん底まで落ち込んだのは

まさにこの罠に落ちたことが原因だったからです。

(オンライン・ママ大学の運営方針での学び)

 

 

私は昔から比較的、他人に対する許容範囲が広くて

多様な価値観の友人がいるタイプでした。

例えばですが、

日本からするとあまり馴染みがない国の友達とか、

男性が好きな男性の友達もいますし

世では悪とされることが多い「喫煙者」も、別にいいんじゃない?と思うし

昔少年院のお世話になっていました、という知人もいますし

なんというか、いろんなことがあまり気にならなくて

むしろ、そういう人たちの考えに興味津々。

話をしてみたいなぁって思います。

 

 

でも、他の人が良しとしたりもはや崇拝していたりするのに

どうしても嫌いな価値観もあるんです。

それって当たり前のことだと思うのです。

 

 

「多様性」って

平和なだけのプロセスでは

決してなし得ないです。

もっとドロドロ、バチバチしています。

平和なだけで進んでいるならば

それは誰かが無理をしているはずで、

(違和感を見て見ぬふりしているはずで)

最初は少しの無理だったのが

徐々に大きくなって

気付いた時には多様性どころか

誰1人として何も成し遂げていない

誰1人として幸せじゃない、

どうしようもない人の集まりになってしまうのです。

 

 

じゃあ、「多様性」のある場を作ろうとしたら

どうすればいいのかというと

概念的な話になってしまいますが

まずは「心をオープンにする」「自分を究める」というのが

重要なのではないかと考えています。

「心をオープンにする」というのは

何でもかんでも赤裸々に話せばいいということではなく

相手が自分の中に入ってくるスペースを開けておくイメージです。

「自分を究める」については

多様性のある場というのは「確立した個がある」という前提で

目指しているものだと考えられるので

そもそも自分を研ぎ澄ませないと

多様性のある場を目指しようがないのです。

多様性って「個の多様性」ですよね?

個がないならば多様性はあり得ません。

日々個を究めているような人ならば

心をオープンにして、他人が入ってくるスペースを開けても

他人によって自分が破滅させられるようなことは

ありません。

 

 

私の思う多様性とは

上っ面の「仲良しこよし」とは全然違うので

仲良しこよしのイメージでいる人を見ると

それは違うと思うよ!と言いたくなります。

そんな意見を持つ私に対して

異なる意見をぶつけてくる人もいるはずで

そういうバチバチドロドロした瞬間って

すごく人間的で美しいと感じます。

ただ、人を傷つけるような言い方で

あえてぶつける必要はないと

私は考えていますので、

傷つける部分は最小限で、自分の思いは確実に伝えられるように

コミュニケーションを取ろうと努めています。

 

 

私は今、「多様性」という概念に

すごく興味があります!

引き続き自分の活動を通して

考察していきたいなぁ。

それが、

自分のコアに繋がる1つの流れであるように

感じている最近です。

 

 

多様性のことを考えていると

なぜか最近お花が頭に浮かびます。

4歳の上の娘が生け花を習っていて。

お花ってどれもすごくきれいなのだけど

「この花パーフェクト!」って言えるお花に

まだ私は出会ったことがないんです。

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執筆者:MIKA TANAKA