正解よりも、自分が信じることを。

私、インディーズでCDデビューしたことがあるんです!(唐突だけど本当です。)
CDを作るときに感じたことを、今でもときどき思い出します。

思うようにやりなよ。もっと自分のこと信じなよ!

 

目次

インディーズでシンガーソングライターをしていました

私は大学生の頃にシンガーソングライターをしていて、
最終的にインディーズで全国流通のCDを出しました!

音楽活動の思い出として、何か形に残したいと思った結果CDを出すことに。
ちなみに音楽で生きていこうとかは全く思っていなくて、当時の夢は大学教授になること。
音楽仲間から「オバタ教授」(私の旧姓:オバタ)って呼ばれたりしていました。笑

当時音楽活動を通して出会った仲間や知人たちの中には、
プロのミュージシャン・アイドル・歌手として大活躍している人もいます。
本当に、心の底から嬉しく思いながら活躍を眺めています!!!

私の会社が大きくなって、CMの音楽制作を発注できたりしたらいいな〜
なんて、妄想したりしています!

CDを作ったぞ〜という証拠映像MVはこちら↓
大学で出会った映画監督さんが撮ってくれた!(私自身はサークルに入っていたわけじゃないです)
そして出演してくれているのは今もアイドルとして大活躍されている百川晴香さん(全力少女R)など。

 

CD制作時、「プロデュース」が行われた

まず、CD制作をするってなったときに、発売元をどうするかとかレーベルはとかそういう話になるんですね。
でもその辺は、大人の先輩ミュージシャンの方が何とかしてくれて、スムーズに進みました。
本当にありがたいし、今でもとっても感謝しています。

そしてその後、一度私の音楽を「プロデューサー」さんに聞いてもらうことになりました。
音楽スタジオに入って、ドラム・ベース・私(ピアノボーカル)で音楽を聞いてもらいました。
聞いてもらった後のプロデューサーさんの顔は忘れられないです。

「え・・・このクオリティじゃCDなんか出せないよ・・・?」っていう呆れ&驚きの顔。
確かに、私はそんなに素晴らしく歌が上手いわけじゃないんです。
それに、作詞作曲を誰かに習ったこともなく自己流ですし。あとビジュアルも良くありません。

そこから鬼のような編曲と練習が始まりました。

「儚さ」が良いと言ってもらうことも多かった私の曲が、よりドラマチックに。
よりメリハリがついて、音数が多く、キャッチーに。
確かに自分が作詞作曲した曲なのに、その変化についていけなくて。
何が正解なのか、自分がこの曲をどういうふうにしたいのかすらわからなくなっていました。

 

そして声が出なくなった

プロデューサーさんによるドラスティックな編曲が続く中、
バンドメンバーだけでスタジオに入って練習する機会がありました。

そこで、何と人生で初めて、声が出なくなってしまいました。不思議な感覚でした。
痛くも痒くもないのに、声を出そうとしても空気しか出なくて、声にならないのです。
確か10分ぐらいで回復してまた歌えるようになったのだけど、
精神的なことってここまで体に影響するんだな・・・って実感した瞬間でした。

 

歌入れも試練

私がCDを制作したとき、まずはボーカル以外の楽器部分をレコーディングしました。
大好きなバンドメンバー、ベースのMさんと、ドラムのMWさん。そして私自身がピアノを録音。

普段ライブのときには入っていないギターもあった方がいいということになって、
ギターのKさんもレコーディングに参加してくれて。この3人の音が本当に大好きでした。

楽器部分の音を聴きながら、次はボーカルのレコーディング。

何度も何度も録り直しました。

緊張で喉が締まって思うように声が出ないし、思うようにお腹の底まで空気が入ってこないし。
今でもあのときのボーカル録音の緊張感、ぎゅっと喉が締まる感じをはっきり思い出すことができます。
そのぐらい、辛かったんですよね・・・(笑)

 

完成!私のCD!!でも・・・

そんなこんなで、私のCDが完成しました。完パケ!!
この記事では重要な登場人物を何人も省いているのですが、(すみません。。)

もう本当にたくさんの力を借りて、CDは完成に至りました
。HMVやTower Recordで買えるCDとして一応流通もしまして、手売りも含め、作った分は売り切りました。

CDが完成すると、普通は嬉しいじゃないですか。
自分が作った音楽が形になって、みんなが買えるようになったんだから。

 

でもね、私はそこまで嬉しくなかったんです。
嬉しいとかよりも、「あぁ。。やっと解放される・・・!」って思いました。
「自分の音楽を形にして思い出に残す」という当初の目的も、
純粋に音楽が好きで音楽で表現したいっていう気持ちも、もうどうでも良くなってた。

とにかく、一連の流れが終わったことに安堵していました。
出来上がった音源を聴いて、「すごーい!」とは思ったけど
「この曲いいね!好き!」っては思いませんでした。

 

仲間に言われた、
「あそこには絶対ピアノがあった方がよかったよ!」

3曲収録した曲のうち、最後の1曲が「デコンストラクション」という曲でして、
deconstruction:脱構築主義 からタイトルをつけた曲なんですが、
その中で2小節無音でボーカルだけになる箇所があるんです。

元々は、ピアノとボーカルだけになるはずのところだったのだけど、
メリハリをより大きくつけるために、プロデューサーさんの意向でボーカルのみになりました。

そのたった2小節のことで、ある2人の仲間たちが、
「そこは絶対ピアノがあった方がよかったよ!」って言ってくれたんです。完成した後に。

私、その言葉を聞いたときに目が覚めた気がしました。

まず、私も冷静に考えると(感じると)、そこにピアノがあった方が絶対いいって思った。
それをプロデューサーさんに言えなかったの。
だって、制作中はわからなかったから。それが悔しくなった。

それから、仲間たちが私以上に私の作品を愛していてくれたことに気付いて、申し訳ない気持ちにもなった。
だって、私自身が私の作品を全く好きになれていなくて、
ただただ「早く終わりたい」って思っていたから。

 

なんで私は、プロデューサーさんの力に圧倒されて自分の言いたいことを言えなかったんだろう、
なんで私は自分の作りたい形で音楽を作れなかったんだろうって、後悔の気持ちでいっぱいになりました。

CDを出してすぐに音楽活動も辞め、音楽に触れること自体しなくなったのですが、
今の今までCD制作のときのことを私の教訓として心に留めています。

 

正解かどうかより、自分がどうしたいか。

ここまでの流れを読むと、プロデューサーさんが悪い、
みたいに感じてしまう人もいると思うのだけれど、
実際には全くそんなことはありませんし
私自身はこのときのプロデューサーさんにも心から感謝しています。

プロデューサーさんは「マーケット」や「業界の常識」を見せてくれた。
CDを流通に乗せるに当たって、避けては通れないことです。

プロデューサーさんやバンドメンバーをはじめとして、
関わってくれた人たちには感謝しかないのだけれど、
当時の「自分自身」の考え方や動き方にものすごく後悔があるんです。

なぜ、自分が良いと思うことを主張しなかったの?
なぜ、自分と自分の作品に自信を持たなかったの??って。

あのとき私は、「正解はどれですか・・・?」っていうスタンスでした。
本当に大事なのは、自分がどうしたいのかってことです。

恥ずかしながら、私は今でも「正解はどれですか?」
っていうスタンスで仕事をしてしまうことがあるんです。ほんと恥ずかしい。

CD作ったときの後悔を生かせていないときがあります。
その度に過去を思い出して決意します。

「大事なのは正解じゃなくて、自分がどうしたいかだ」って。

めちゃくちゃありがたいことに、今の仕事仲間には
「で、ミカさんはどうしたいんですか?」って聞いてくれる人たちがいっぱいいるんです。

正直、それを聞かれた瞬間はイラっとしちゃうこともあるんです(笑)
過去を教訓に、自分の思うことを主張するようにしているつもりではあるので、
欠点を指摘されたみたいな気持ちになっちゃって。

だけどいいよねすごく。
自分が気を抜いて生ぬるいスタンスでいると
そうやってつついてくれる仲間たちが周りにいるので!

正解なんて千差万別・十人十色の今の時代。
「で、あなたはどうしたいの?」に答えられる人でありたいな!
もっともっと自分を信じていきたいな。

 

 

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執筆者:MIKA TANAKA