シンガポール出張日記シリーズ
シンガポール出張日記①準備編:子どもを置いて初めての出張。即始めたのは英会話とエステ(!?)
シンガポール出張日記②空港・機内編:私の人生は誰かの力でできてきた
シンガポール出張日記③プレゼン当日編:私は母親じゃなくても私なのか?
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2013年に最初の子どもが生まれてからというもの
私はいつも「母親として」生きてきました。
何を決断するにも、子どものことを考慮して決めてきた。
これからも、そうやって選択と決断をして行くと思います。
でも今回シンガポールで
こんな思いになりました。
「私は母親じゃなかったとしても私なのか?」
不思議です。
もう母親になって5年以上経って、
自分が母親であることは日常です。
2013年6月から一度たりとも、一瞬たりとも
親の責任や役割を手放したことがなかった。
だからこそ今のライフスタイルになりました。
(オンラインで起業し、地方移住して実母と同居)
自分にとって母親であることが当たり前すぎて、
今回シンガポールに出張して物理的に親の役割から外れたときに
ふと不安になったんです。
私は、仮に母親じゃなかったとしても、価値があるんだろうか・・・?って。
なんだかんだ、母親である自分には
めちゃくちゃ価値があると思っているんですよね。
試行錯誤しながらワーキングマザーを全うする日々は間違いなく充実しているし、
次世代を担う自分の子どもたちのお世話をすることは
世界に価値を提供できている!っていう気持ち。
でもそれってすべて、「私は母親である」を前提にして成り立っているの。
そのことに気付いてしまいました。
そしてシンガポールという未知の地に放り出されたときに
「私で大丈夫でしょうか・・・?」の思いが
一瞬強くなってしまったんです。
でもこの不安は、本当に一瞬で過ぎ去っていきました。
そうやって母親として試行錯誤してきた日々は
私自身を確実に強くしてきた!とすぐに気付けた。
それは、外側と内側の世界両方の強さです。
外側としては、まず数年ぶりの公の場での英語プレゼンを
無事に終えることができて自信になりました。
私が母親であるとかそうじゃないとか関係なく、
普通に仕事をすることができた。憧れていた海外のステージで。
まだまだ足りないっていう部分も明らかになった。
それも含めて大いに自信になりました。
足りない部分はこれから補えばいいんだもの。
やりたいと思ったら、必要なエネルギーが手に入るようになってるもん。
私は、日本だけじゃなく、世界で仕事する!!!
内側としては、
何があっても自分と世界の幸せにフォーカスして越えていける。死ぬまで折れない!っていう
根拠のあるようなないような自信が身についてきました。
母親になってからというもの、
「私は母親である」が全ての前提になってしまってた。
しかも、「私は自分の人生を生きられてる!超自由!!」って
勘違いまでしてた。
そのことに気付けたというのは、今回のシンガポール出張において
一番大きな収穫でした。
だからと言って、子どもたちの世話を全くしなくなるとか
24時間仕事モード!というのは
私のやりたい人生スタイルじゃないんですね。
ただ、定期的に「泊まりで」子どもたちから離れる時間を作ろうと思いました。
保育園や家族に子どもを預ける数時間で内省するというのは
私には難しいことです。
2泊3日ぐらいあると、やっと本当に自分を見つめられるなぁって思った。
今回、出張中に下の子が溶連菌咽頭炎になったのです。
それで、もし日本国内にいたとしたら
「すぐ帰るね!!!」って仕事終わったら即新幹線に飛び乗ってたと思う。
でも海外だと、すぐ飛行機乗るね!ってわけにはなかなか行かないし
その上、飛行機で7時間、そこから新幹線で3時間だから
もう物理的に色々無理で。それが逆によかった。
全然影響されませんでした。
私の母と夫(都内での仕事を休んで青森に来てくれた)が、
娘たちの安全をしっかり守ってくれて、
安心して仕事をすることができました。
まとめると、
これからは「私は母親である」の前に「私は私である」を
もっと見つめていこうって決めました。
「私は私である」にシフトすると
今まで決して出てこなかったアイディアや新しい思いが
次々に出て来たのです。感動してしまいました!
続く。
シンガポール出張日記シリーズ
シンガポール出張日記①準備編:子どもを置いて初めての出張。即始めたのは英会話とエステ(!?)
シンガポール出張日記②空港・機内編:私の人生は誰かの力でできてきた
シンガポール出張日記③プレゼン当日編:私は母親じゃなくても私なのか?
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